三十一からの自省日記

三十一歳、今だから昔を振り返ってみようと始めました

自らを軽く薄く紹介するだけの文章

は女である。どれほど自分のことを男だったら良かったのにと思ったとしても、身体は女である。とは言っても、私の自己認識は男ではない。男として産まれたかったと思っていたし、昔は大人になる過程でペニスが生えてくるものだと思い込んでいた。それでも、自己分析する中でFTMではないことは確かめた。診断する基準の中にいくつか当てはまりはするが、自分の体への嫌悪感は今はとうにない。月経が始まった時期が遅かったことも良かったのだろう。人よりもかなり遅く始まったから、心は少し安定していたのだと思う。

しかし今でも女性用の下着売り場に入るとドキドキしてしまって、周りの人がいると赤面しそうになる。自分が選んでいるものを人には見られたくないなぁと思うので、店員さんから「サイズお計りしましょうか」などと話し掛けられるとパニックになりそうになる。勘弁してくれ。一人でひっそりと選ばせて欲しい、本当に。

話は戻るが、そんな自分の普段の服装は男ともとれるようなものだ。きちんとすべきときはするが、何も特にないときは一番楽なのがそれなのだ。男装とまでは言わないが、それに近い。

 

らく、自分はアセクシャルに属する人間なのだと思う。最近になって、LGBTなどの活動を見るうちに自身のこともきちんと捉えられるようになってきた。LGBTQQIAAPの中でパーセンテージ的にとらえるとL寄りのBでありAである。この認識を自分でできるようになってから随分と息がしやすくなったと感じる。

今までの私は男への恋愛を強制されている感覚があった。女性を恋愛的な感情で見たこともあった。ただ、その恋愛感情はただの人への執着であると感じるのだ。人が話す恋愛が私には理解し難いこともあった。人が人を好きになることは勝手だが私に強制されるのは辛かった。今まで彼女はいなかった。彼氏はいた。それでも恋愛をしてきた気がしない。

そんなことを言っておきながら私は既婚者である。夫は私の性的志向は知らない。しかし、人に強制することをしない人だから結婚できたと思っている。とはいえ、いつかこの性的志向を否定される時がきたら別れざるをえないのだろう。その時は夫には申し訳ない気持ちでいっぱいなのだろうな。

夫に申し訳ないといえば、自分の趣味もだな。

 

味というべきようなものは、マンガやアニメ、小説やゲーム、音楽を聴いたりすることもそのひとつだろう。オタクであると思う。中途半端にコレクター気質があると自身でも感じている。ちなみに二次創作物も読む。質のいい文章や漫画は一次二次に関わらず沢山あるのだから、読まなければ勿体ないと思うのだ。高校時代は常に読書をしていたせいか、活字中毒だったような気がする。それが形を変えて今も残っているのかもしれない。

オタクの言葉で沼というものがあるが、言い得て妙である。ハマったらそこから抜け出すことが容易ではない。私のオタク気質もそこにある。今も沼の中にいるのだ。誰かに押しつけたい趣味ではなく自分の中で楽しみ続けるための趣味だ。逆に言えば誰にも奪わせたくない。

オタクの趣味は人には迷惑をかけないようにしているが、それでも家の中に少しスペースを取ってしまっているのは事実だ。内容までは知らないだろうが、そんな私のオタクのためのスペースを確保させてもらってることに感謝している。

 

が私たる所以は、頑固さにあるのだと思う。頑固さ、負けず嫌い。人と共感はするものの人に合わせることに違和感しかない。未だ自分を曲げることが許せない。

昔、それだと生きにくいだろうと言われたことがある。それでも、私は揺らぐことすら出来なかった。それが私だからだ。

私のそんな性格に寄り添ってくれた彼がいたこともある。夫がいる今でも、私以上に私のことを理解してくれていたのは彼であったと思うのだ。けれど、私はその彼すら拒絶した。自分の身勝手な都合で。今もまた夫を身勝手な理由で拒絶することも有り得るのだと思う。