三十一からの自省日記

三十一歳、今だから昔を振り返ってみようと始めました

三十一からの自らを省みる日記

学の頃、アンネの日記を読み、憧れというよりは感銘を受けて日記を毎日書き続けていたことがある。受験期に入る頃にはそんな日記を付けるのをやめてしまっていたが。当然毎日なんて付けていない。最初の頃は毎日つけていたが、そんな毎日同じことの繰り返しの中綴れるものなどそれ程多くはない。思春期ならではの悩みや親や兄弟への反抗、進路への不安を書いていた。あまりにも愚痴や殴り書きが多く、自身への苛立ちから今はもう手元にないが、残しておいても良かったなぁと今になって思うのは、懐かしむ余裕が出来たからなのだと思う。だが、もし残しておいたとしても数ページにわたって書かれていた殺したいほど憎い人リストは抹消せねばならん。
次に日記を始めたのは高校卒業が近づいてきた頃だった。一度やめてしまったとはいえ、自分語りをするのは大好きな私。突然、再び何故始めたのかといえば、その頃mixiなどでの日記公開やブログが台頭し始めた頃だったからだ。自分で書くにしてもパソコンや携帯電話(当時はガラパゴスケータイが最先端だった)でカチカチと打てるのは気楽だったのを覚えている。ネットに公開する怖さも学んだ。(特に何かあった訳では無い。むしろ私が調べ尽くした)

学生活が忙しくなると、ブログもmixi日記も途絶え、日記をつけることがなくなっていった。そんな時にブログを書いていたサイトが閉鎖すると決まり、データをExcelに移すことにした。数日かけてゆっくり移したが、たまに見返すと少し面白いと感じたのでUSBに保存して、データを保管した。この頃、Twitterを細々とするようになっていた。日々のことを綴るよりも想いを呟くだけのTwitterは私だけでなくて様々な人にとって相性が良かったのだろう。ブログを継続するよりTwitterを継続することの簡単さは凄いなと感じる。
そうして遠ざかっていったので、結局大学時代にはブログも日記も更新することが少なかったように思う。

十歳の原点という、二十歳で命を絶った高野悦子の遺著を読み、日記を残すことの意味を考え始めたのはつい最近のこと。自ら命を絶つことは選びはしないが、何が衝動になるかは自分でも分からない。少なくとも私は常に希死念慮を持ち合わせている実感はあるし、正直苦しまず痛くなく死ねるというのなら直ぐにでも命を絶つ決断をするだろう。それほど人生に対して何も望んではいないし未来も必要ないと思っている。そんな自分が残すとしたら負の財産ばかりなのだと思うのだ。その中でせめて言い訳をさせてほしい、言い訳ができるのが日記なのではと思ったのだ。高野悦子氏が言い訳のために日記を書いていた訳では無いことは重々承知の上で、自らが今更書く理由を定めたいがために敢えてここで彼女の遺著を使わせていただいた。

日は、私の出産予定日だったそうだ。今日という日が誕生日という訳では無いのだが、予定日を守れず産まれてきた私が、自らを省みるための日記を始めるには良いターニングポイントなのではないかと思い、今日から始めることにした。
自分の偏りに偏った考え方、人への執着、過去のこと、そして今のことを少しずつ日々を過ごす中で書き留めながら残すことにしよう。